オリンピック・フォーラム2003出席者   030221

 「オリンピック・フォーラム2003(2月26日開催、主催JOC、日本経
済新聞社」に、(社)日本トライアスロン連合から次の7名と若干名の
  出席希望をいただきました。

◇滝 正秀:愛知県トライアスロン協会・副理事長
◇諸藤裕之:愛知県トライアスロン協会・理事・技術委員長
◇荻原政吉:長野県トライアスロン協会・技術委員長
◇長村昭男(おさむら):埼玉県トライアスロン連合・JTU公認審判員
◇白石 勝:(社)東京都トライアスロン連合、会員
◇鈴木信之:北区トライアスロン連合理事長、JTU環境委員
◇佐藤吉朗:(社)日本トライアスロン連合事務局員

 この他にも、出席できなくて残念とのお便りをいただきました。今回、
出席される方々から「スポーツとフェア(公平)」についての報告を
全国にフィードバックできると期待しています。
オリンピックフォーラム参加者からの感想!   030310
オリンピックフォーラム2003「スポーツとフェアネス(公平)」出席報告
 愛知県トライアスロン協会 技術委員長 諸藤裕之


 今回のオリンピックフォーラムは、名古屋からでしたが、「行ってよかった」、と言えるものでした。これだけのオリンピアンがパネリストですから、ビデオにでも撮って、地元での勉強会にでも使用と考えたのですが、やはり関係者以外の撮影は禁止ということでした。残念とは思いつつも、昨今の肖像権などを考えれば、やむを得ないことです。
 ここでユニークであったのは、会場係員にビデオ使用を確認したときは、「いいですよ」という返事が、正式アナウンスで「禁止」と伝えられたことです。こういうことは、わたしたちの大会でもよくあることです。こういった身近なことからも勉強になるものです。以下、要点を報告します。

表 題:オリンピック・フォーラム2003
日 時:2月26日(水)13:30〜16:30
テーマ:「スポーツとフェアネス(公平)」
会 場:日経ホール(東京都千代田区大手町1-9-5日本経済新聞社8階)

第1部 基調講演:「実践すべきフェアネス(公平)とは」
講演者 玉木正之氏(スポーツライター) 著書「スポーツ解体新書」
他多数 
   13:30〜14:30
第2部 パネルディスカッション「フェア(公平)な戦い」
   14:50〜16:30
コーディネーター 杉山茂氏(スポーツプロデューサー)
パネリスト  小谷実可子氏(オリンピアン、シンクロ/ソウル・バルセロナ)
  田辺陽子 氏(オリンピアン、柔道/バルセロナ・アトランタ)
  室伏広治 氏(オリンピアン、陸上競技/シドニー)
  青島健太 氏(スポーツライター)
  山澤文裕 氏(スポーツドクター) 

第一部 基調講演  玉木正之氏
 フェアネス(公平性について)
スポーツにおける公平性、実践すべきフェアネスとは何か、というタイトルをつけたフェアネスという言葉はスポーツの本質に迫る難しいテーマである。国際語ではフェア若しくはフェアネスであるが、「公平」「公平性」という日本語で訳せない部分もある。講演の中で数々のエピソードを交えて話されていた。その中から幾つかを紹介する。1968年メキシコオリンピックでの日本サッカーチームが銅メダルを獲ったが、同時にフェアプレー賞ももらっている。それだけイエローカードの少ないフェアなプレーを日本はしていた模様だ。釜本選手が相手選手を倒した時にも、直ぐに審判に駆け寄り、イエローカードの前に誤り難を逃れたエピソードがあるらしい。では、反則ギリギリのプレーはフェアじゃないのか?

 アメリカ大リーガーに片手の手首から先がない「ジム・アボット」投手は、大学野球時代に他の選手からセーフティバントの連続で、アボット選手を攻め立てた。しかし彼はグローブを握り替え、獲って投げるというバント処理をハンディーキャップをものともせず、難を切り抜けた。この時ここぞとばかり攻めたアメリカ選手、これはフェアかどうか?また、大リーグ時代も同じように他のチームから攻められたが、彼は切り抜けてしまった。アメリカ人はこんなプレーを処理できなければ一流のプレーヤーとは考えていないそうである。  柔道日本の代表と言えば「山下選手」であるが、彼が負傷した足を引きずってエジプトのラシュアン選手と戦った話は有名な話である。彼は山下選手の負傷した足を一切攻めずに、結果試合には負けて銀メダルとなった。この様子を日本のメディアはフェアな選手として検討を称えたが、果たしてそうであったのか。柔道では健康な軸足を払えば、痛んだ足では身体を支えられないことがわかっているそうである。この世界ではまっとうな攻め方でありフェアではないという考え方もある。

 フェア(公平)というのは、場所によって、国によって、民族によっても一人ひとり違うと言うことが分かる。個人レベルで問題は揺れ動いている。ぼんやりと揺れ動いているように、個人の美学みたいなもの、何を美しいと思うか、個人が育ってきた背景、文化的背景にまで係わってくると言われている。

 有名なサッカーの「ドーハの悲劇問題」=計時の公平性サッカーワールドカップアメリカ本選出場が99.9%確定していた時に、最後のロスタイム1分間で逆転されて日本は涙を呑んだ。しかし、あの時のロスタイム時間は本当に正しかったのか?。アメリカンフットボールやバスケット等は残り時間がはっきりしている。このように確定していれば、ゲームの作戦を立てやすい。フランス大会からロスタイム表示が残り2分などと計時プレートで表すようになったが、また反則等で試合中断した場合そこからのロスタイムはいぜん不明のままである。

 フェアネスの一つの考え方として、民族とか、国家の歴史でも変化していく、フェアネスが個人個人ではわからず、美学であると先に述べられているが、民族単位、国単位、スポーツ団体単位でも変わっていく。フェアネスを考えていく上で最も難しい問題とは?

 それはドーピング問題です。薬を飲んで筋肉増強させたり、興奮剤を飲んで好成績をあげるのはフェアなのか、アンフェアなのか。そんなもの反則に決まっているじゃないかといいますが、難しい問題も出てくる。
 例えば会社に行くとき駅でスタミナドリンクを飲み出社して難しい仕事をこなし、それを上司に報告したとする。その時に上司はお前はドーピングしたのでこの仕事は無効だ。とは言わないであろう。ほとんどの人が医者の薬を飲んでいる、現代人は薬と共に生きていると言っても良い。医者の薬もドーピングであり、ドーピングしていない人はいないというくらい世の中に氾濫している。
 現在IOCはWADA(世界アンチドーピング機構)を各国と協力し作りドーピング反対運動を進めている。ドーピングを解禁してしまうと、トップアスリートを目指す人たちもこれを使用してしまう。
 大リーガーのホームランバッターマグワイア選手も筋肉増強剤を飲んでいると言ったら、青少年達も飲み始め、若年層における影響も懸念されている。

 移植者スポーツ大会(一昨年神戸で開催)で、心臓移植した人が100mを11秒で走っている。このような臓器移植者のステロイド使用は身体の反応を抑える必需医薬品であることは理解しなくてならない。しかし、この人達が世界記録を達成したらどうなるのか、パワーが出る物だからと禁止にはできない。
 さらに心配されている遺伝子ドーピングなど、50年先の将来の人間にどんな変化が出てくるのか、まだわからない。大きく変わっているものと考えられるのは、何が正しくて何が正しくないのか。何がフェアで何がフェアじゃないのか。だからどうでもいいんだというわけではない。
 ひとつひとつ悩んでいき、心が揺れているところに真意があると思う。Aだから良い、Bだから悪い、あるいはAじゃなかったBになったんだと、そういうフェアネスを考えている時こそ、スポーツが私達に与えてくれる素晴らしいものなのだと考えられる。

 スポーツについて難しい問題だといえば、運営する人のフェアネスという問題もある。アメリカの4大スポーツのひとつである野球も、アメリカで活躍しないと一流とは認めない。サッカーもイングランドで発祥し国内大会が最高としてきた。しかしフランスが作ったFIFAができて各国が参加してきた長い歴史がある。今はワールドカップで優勝することが一流となっている。日本でも特定の球団ばかりが金に物言わせて一位になっている。これもアンフェアな部分と言えよう。
 最後に玉木氏はこう結んだ。21世紀を担うスポーツ組織がフェアネスを持ちえるかどうか、考えざるを得ない。国連の機関でもないIOC(国際オリンピック委員会)は素晴らしい面も持ち合わせているので、「倫理」をきちんとしていればさらに「倫理」が広がっていく、スポーツの側から「倫理」を唱える必要もある。 以上、第一部の基調講演  玉木氏の話を要約したものです。

続いて第二部パネルディスカッション 5人のパネラーが順にそれぞれ競ってきたスポーツのエピソードも交えながらフェアネスについて述べて討議に入っていった。なお、エピソード部分は省力してあります。

青島健太氏

 フェアであるということは柔軟なことなんだ。時代にもよって変化するが、問題はその場を共有して、何かをやろうとしたときに、お互いがその戦いに本当にフェアにおこなわれているのか常に疑いを持ってきちんと考える状況をスポーツ=フェアと考える。

小谷実可子氏

 白黒のはっきりしない競技の中でのフェアな戦いがあり、ルールそのものがフェアではないかもしれない。不利と思えるルールでもやるしかない。

室伏広治氏

 陸上種目の中での判定種目は競歩しかない。ハンマー投げはジャッジを電子計測を採用しているフェアな競技だった。唯一関係しているのが、ドーピング問題である。これは真剣に取り組んでいかなければならない。試合を納得して行える、温かみのあるスポーツにしたい。この二つを大きく考えました。

田辺陽子氏

 フェアは自分自身の心の中にあるのではないか。柔道はフェアに戦うために、柔道着のサイズの問題、大きいか小さいか、厚み等規定で決まっている。試合場の大きさ等同じ条件で戦う。選手時代はフェアは考えなかった。引退して振り返った時、一生懸命やった時、自分の人生に役立ったように思う。自分に正直になるために後になって振り返った後、自分自身の中に潜んでいる。

山澤文裕氏

 フェアは社会の中で通用するルールでなければいけない。それには必要条件と十分条件がある。必要条件はそれぞれのレベル、立場によって基本的に最大の努力をする。いろんな機会が均等に与えられる。また、均等に与えることが必要条件だろう。十分条件は、自分若しくは他人に対して肉体的危害を及ばせないこと。必要条件を簡単に言うと、努力なしでは何も得られないだろう。人には何も与えることができないだろう。いろんなことが平等と言われているが、機会を平等に与えることと、結果を平等に与えられる事がある。スポーツの世界は結果を平等に与えられないから、同じ土俵を同じルールを作って、機械を均等に与えることが必要条件だと思う。十分条件を簡単に言うと、自分がやって欲しくないことは、人にはやってはいけない。これをふまえて人を満足させることができるし、自分も満足
する。今求められるフェアは見ている人たちが勝った人にも負けた人にも賞賛を与えることが、それぞれの立場のフェアではないか。

※ 辞書的な必要条件(necessary condition)とは・・Pが成り立たなければQも成立たないという関係がある時、PをQの必要条件という。
※ 辞書的な十分条件(sufficient condition)とは・・事項又は判断が成立すれば、事項または判断がQが成立するという関係がある時、PをQの成立のための十分条件という。
(以上オープニングトークでした)

司会 杉山茂氏

 勝ち負けを決めるためにフェアプレーが必要とされる。今なぜフェアが必要なのか。また、スポーツを取り込む状況や条件が変化している。その中でもドーピング問題が一番だと思います。スポーツの公共な部分についてお話を伺います。

山澤文裕氏

 今大会の冬季アジア大会でも発生している問題でもある。クリーンな競技を行う上でドーピング問題は外せない。 ドーピングが禁止される理由は医療的死亡事故が発生しているためでもある。
 倫理的側面、社会的な問題、青少年に与える影響などが挙げられる。また、選手の健康を守るためにあるし、そのための検査もある。競技会で上位の選手と練習中の選手に突然抜き打ちに競技外検査が実施されている。選手のドーピングを抑制しようとするために、全世界が動いている。年間12万検体(世界で)日本では2000〜3000検体と少ない。2002年4月から日本国内で統括して検査が行われるようになった。日本のドーピング検査も向上している。国体もその範囲に入っている。1999年11月にWADA(世界アンチドーピング機構)ができ、そこで全てを行う。IOCに変わる新しい規定も考えられている。
 陽性になった選手には潔白であると証明できるように、スポーツ仲裁裁判所なる、調停をスピーディーに判定するために設置準備が進められている。それは選手の権利を守るため、JOCのバックアップでスポーツ仲裁機構、重要な機関である分析機関が発揮したもの、JADA(日本アンチドーピング機構)などの3本柱が確立されつつある。日本もアンチドーピング先進国になりつつある。

司会 杉山茂氏

 プロとアマチュアの基本的な考えかたの違いについてはどうでしょうか

青島健太氏

 プロはその場に合った使い分けもうまいが、アマチュアはけっこう血相を変えることがある。(野球の場合である、)

司会 杉山茂氏

 では選手がプロでも審判がアマチュアでは困りますが・・。
○ ジャッジ(判定)に対するフェア
○ 審判の技術の向上
○ 機械化される判定も望まれる
○ しかし、それを扱うのはあくまでも人間であり、人間であれば必ずヒュ−マンエラーがあり得る。

司会 杉山茂氏

 男女の平等感はどうでしょうか

○ シドニーオリンピックまでは女性証明書を提出していた。
○ しかし、オリンピックに出場する選手であれば、その必要性もないだろうということで廃止となった経緯がある。

司会 杉山茂氏

トレーニングの公平感はどうでしょうか

○ 高地トレーニングをする選手と、元々高地に住んでいる選手の公平感

司会 杉山茂氏

地域とスポーツの関係はどうでしょうか

○ 財源に関する公平感
○ お金のある国、ない国、ある団体、ない団体、強化される種目とされない種目等公平感に欠ける問題がある。
○ 器材に関しても同じである。

司会 杉山茂氏

 長時間ありがとうございました。最後にフェアプレーとスポーツというものと、オリンピックとスポーツ、スポーツと社会について締めの言葉をお願いします。

山澤文裕氏

 スポーツそのものが社会とかかわり合って育っていかなければならない。いろんな価値観が尊重される時代になってきている。互いに尊重しあい多様性を認めあう。また、データーを開示しあう順法精神が求められる。

青島健太氏

 どんな事をしても守らなければいけないのは、その場をきちんとフェアに用意しておくこと。まだその辺が目に付くのでこのようなシンポジュームが行われる必要がでてくる。スポーツを引退した者の使命としてそれらを守っていく必要がある。

室伏広治氏

 これからもフェアな戦いで共感を得られるよう頑張ります。田辺陽子氏勝負を競う時はフェアを求められるが、フェアは各自の心の中にあるもの。オリンピックで感動を与えられるのは、選手が一生懸命最大限に努力しているからだと思う。

小谷実可子氏

 一部のアンフェアな選手がいるために動議が必要な時代になってきている。オリンピックやスポーツは結果であったり、メダルの数ばかりを追っている。オリンピックのステータスがあるがために、目標が大きいから限界に挑戦できる。その限界が美しいから人が引きつけられ、青少年が憧れ目指すものである。そんなオリンピックの美しさを保つためにこれからもお手伝いします。

司会 杉山茂氏

 フェアプレーという大きな問題、そして身近な問題、時代によって変わること、人それぞれ、地域それぞれでフェアプレーという考えが違うと言うこと。一方で共通していたのは、ルールを守ること、ジャッジに対しては従うこと、心の中に受け止めるもの。社会と人間と向き合う、人間を信じる、人間を愛するということがあって、はじめてフェアプレーが成立つことが中心になりました。
本日は長時間にわたりご討議いただきありがとうございました。

(以上が要約したパネルディスカッションのまとめとします。)

 オリンピックフォーラムに参加して感じたこと。

 テレビでしか普段見られないオリンピアンを目の当たりにして、さすがに皆さんそれぞれしっかりした考えをお持ちでいたことに驚きました。話し方や表情一つとってもとても参考になりました。

 また、競技団体として我々は何をしなければならないのか、深く考えさせられました。トライアスロンに限らず多くのスポーツに言える、「公正」と「公平」という大きな柱の基で、選手も審判員もよりいっそうトライアスロンを謳歌できるようにブロック内の大会をはじめとして、全国の大会に浸透できればと思います。 昨年は愛知県協会にとっては大変勉強になった年でもありました。何を判断して選手の権利を守るのか、何に気をつけて大会運営を進めていくのか、良い判断材料を投げかけられたと思います。

 このフォーラムではフェアとは「これだ」という明確な回答はでませんでしたが、各パネリストの意見を参考して、それこそ、それぞれの地域にあったフェアネスを持ち続ければ、きっと選手と審判員、審判員と地域など多くの関係者と一体となりトライアスロンの発展に結ぶつくものだと信じたいものです。

 以上、2時間30分の講演を要約して報告とします。=以上=