1997年奄美レディス大会で初めての審判業務を行った。初めてトライアスロンのレースに出場した時のように、期待と不安と緊張感が入り交じっていた。
当日朝、何事もなく安全に一日が終わって欲しいとやや消極的な気持ちでスタートラインに立った。しかし、レースが進行するにしたがい、自分自身もレースに出場しているかのような感覚で業務に夢中になっていた。今振り返るとこの時が「選手以外でレースに参加している」と実感できた初めての瞬間だった。
レース中まず驚かされたのは、選手達のトラブルの多さとそのトラブルに対する反応が様々なことだ。リストバンドの紛失、それを申告する選手、申告ぜずにレースを続行する選手。ウエットスーツがきついといって途中で説ぐ選手、リタイアする選手。ランニングパートでは、ベルトを用いているためレースナンバーを前面にするのを忘れている選手が結構いる。選手に注意を促すと即座に反応する選手、なかなか注意の意図を汲みとれない選手。一概には言えないが、これらのトラブルや大きな反応差は参加選手たちの競技に対する意識差が起因しているようだ。初めての審判業務に際して「こんなことは百も承知」的感覚でいたがレースというある種特殊な条件下では、意識差は顕著に現れ、時として自分の許容範囲を逸脱する。
競技スポーツという性格上、選手の競技能力に差があるのは当然だが、大会によってはより市民スポーツ度を考慮し、選手の意識差を認識して業務に当たるべきだと感じた。また、その差異は感覚的な要素が強く、実体験(レースでの審判業務)を重ねることによってつかめてくるとも感じた。レース終盤、私は制限時間に間に合いそうもない選手がいると無線連絡を受けた。この時、マウンテンバイクでのランマーシャルをやっていた私は、コースを逆走して選手を確認しに行った。ランナーの横にはパトカーが伴走し、このため地域住民の車が渋滞していた。「交通規制解除の時間なのになぜランナーを走らせておくのか」と警察より注意を受けた。
大会は所轄機関と地域住民とボランティアとスポンサー、メディアによって支えられている。その中でも特に警察は、住民の開催への賛同を前提に大会開催を許可する。そのため、住民が迷惑と強く感じたとき大会は続かないかもしれない。警察は走り続けさせてあげたいのだがそういうことも考えて欲しいとのことであった。もっともである。
途中の関門をクリアーできずフィニッシュの制限時間の間に合わないランナーをこの場で失格にしても問題はないだろう。しかし、自然環境の中で行われるトライアスロンであることや、今回はエリート選手ではなく、エイジグループの選手であったということもあって、「完走させてあげたい気持ち」になった。「大丈夫ですか」と声をかけたところ、だいぶ疲れているようだが、その返事は元気でしっかりしている。本人も制限時間を過ぎてしまうことはわかっているようだがフィニッシュを目指したいという。
私一人では判断できないので大会本部へすぐに報告をした。警察と大会本部の間に入り携帯電話で連絡を取り次ぐうちに失格にしなくてもいい方法が見つかった。警察側からは、歩道を走ること。信号を守ること。事故の無いように走ること。マーシャルがつくこと。大会側からはレースナンバーを外してもらうこと。フィニッシュをしても完走者とは認められないこと。そしてそれを本人に確認する事であった。
私一人であったら周りの状況を冷静に判断することができなっかた。しかし、一歩離れたところから全体を把握している本部から指導してもらうことによってどうにか事態に対応することができた。
時間を過ぎているにもかかわらずエイドステーションのボランティアが彼女を応援している。フィニッシュゲートではレースを終えた何人かの選手たちが彼女を大きな拍手で迎えた。彼女も笑顔でフィニッシュした。この光景を見たときに大会とは選手が主役でそれを大勢の人達で支えているのだと改めて実感した。と同時に審判業務とはただ単に厳しさをもって選手にルールを順守させるだけにとどまらず、暖かい柔軟な対応で選手を見守ることも必要であるのだと学んだ。 この時の最終ランナーとなった選手にはおそらく、大会やボランティア、フィニッシュで迎えてくれた選手たちの暖かさが伝わったことだろう。その気持ちが通じていればきっとまたトライアスロンに挑戦し、今度こそは完走者となることと思う。
初めての審判活動から1年半が過ぎた。この間マーシャルウエーアーを着用していると選手時とは異なる色々なことを訪ねられたり、要求されたりする。それだけマーシャルは選手や観客からみられているということだろう。この点を認識し、与えられたことをこなすのはもちろん、いつでもレースの流れに乗って全体をみられるようありたいと思う。 また、前向きに問題意識を持って、周りの人間と協力して積極的に審判活動を行い、信頼される審判員になれるように努力をしていきたいと思う。(了)