10年のトライアスロン生活にピリオド・・・関根明子選手
2000年の石垣島ワールドカップ3位入賞をきっかけに国内外において輝かしい成績を残し、シドニーそしてアテネオリンピックの日本代表選手を務めた関根明子選手が10年のトライアスロン生活にピリオドを打つことになりました。 1998年、陸上長距離の実業団チームからトライアスロンに移り、そのスピードとフォームの美しさは世界の注目の的となりました。2001年のカナダ・エドモントン世界選手権ではポスター写真に大きく登場したほどです。ランタイムは常に上位に位置し、2004年世界選手権ポルトガル・マデーラ大会ではラン(10キロ)34分20秒のスプリットタイムを記録しています。追い上げ型の関根選手が先頭グループを次々に抜き去る姿はスポーツのドラマをつくりました。 ここ数年はトレーニングの一環としてロングディスタンスにもチャレンジするなど、常に前向きで明るい性格で、流行にも敏感な選手です。カナダで強化合宿中に、蝶のように走る選手をイメージされ「アイアン・バタフライ」のニックネームを受けています。 北京オリンピックでの日本人女子選手の活躍のみなもとには、長年に渡り日本のトライアスロン界をリードしてきた関根選手の貢献がありました。最後のレースとなった2008年9月新潟県佐渡での日本ロングディスタンストライアスロン選手権では練習不足とはいえ堂々の2位入賞を果たしています。 「いまは少しノンビリしたい」という関根選手。またいつかトライアスロンにカムバックするときを期待しています。関根選手・・あなたの美しいスポーツの姿は永遠に忘れません。感謝を込めて、長い間ありがとう、おつかれさまでした。 <関根選手の過去主要大会成績> |
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